昨年(2018年)7月にエベレスト(8848㍍)に次ぐ世界第2位の高峰で、その難易度から非情の山と呼ばれるK2(8611㍍)に登頂した西川山岳会の飯澤政人氏の貴重な体験談を拝聴します。 |
K2で使用した装備を持参いただきました。
会長から今日の講師のご紹介です。
講師 飯澤政人氏のプロフィール 1985年(昭和60年)天童市生まれ 2009年(平成21年)24歳で西川山岳会に入会中学時代は、剣道に励み登山は20歳から始めました。現在は東根市に奥様と長男の3人暮らしで、平日は市内の建設会社に勤務しております。休みの年間100日は登山に当てており、山に挑む際は奥様から言われている「生きて帰ること!無理しない!」を肝に銘じているとのことです。 |
【以下講演要旨】 ・ 山登りを始めたのは20歳の時、高山植物を見ようとして最初に登った山が近くの水晶山だった。その時は途中でやめて帰ろうと思ったが、誰かのもう少しで山頂だという声を聞き、それならと登り切った時達成感を味わった。そんなことを繰り返しながらいつかは世界の山に行きたいという思いが募った。それならば、エベレストに登頂した遠藤博隆さんが所属している西川山岳会に入会しようと思い西川山岳会に入会した。そして、本格的な登山をはじめロッククライミングを始めた。特に厳冬期の黒伏山、 蔵王仙人沢の氷瀑や北海道の利尻山などでクライミングを重ねてきた。 ・ そんな時、北日本海外登山研究会がK2登山を計画していることを知り応募した。会社は、2ヶ月半休暇をとることになるが快く許してくれ良い会社に入社したと喜んでいる。家族は、K2の話になる前はあまり本気にしていなかったのか軽くいいよと言っていたが、具体的に登ることが決まるとだいぶ心配した。現地のカ シミールはインド、パキスタンが領有権を巡り対立し緊張した地域であった。現地ではポーター50人、馬50頭を手配して荷揚げをしてもらった。ポーターの日当は一人2,500円で25㎏背負い、馬には75㎏を背負わせた。ほかに食料にするため荷物を背負わせない水牛を連れて行った。高山での登山で気を付けなければ ならない大事なことは、高山病予防でありこれに適応するため5,250mにベースキャンプを設け、その上にキャンプを設けてそこで数日過ごし、また、ベースキャンプに戻って体力を整え、今度はその上のキャンプに行くということを重ね高度に順応させていった(C2~6500m、C3~6900m、C4~7400m)。高山の酸素濃度は平地に比較すると6000mで50%、8000mで30%なので1本5㎏の酸素ボンベを2本背負っての登山となった。その酸素ボンベも消費を考えると無駄には使えなく使い方も考えなければならなかった。酸素が薄くなると記憶障害や感情のコントロールが効かくなくなり、意見の相違で感情的な発言をすることが多くなった場面も何度かあった。また、高度障害は低酸素、低圧があり食欲不振、睡眠障害、肺水腫、脳浮腫など多くの障害が起こり、自分も山頂を目前にして疲れなどからピッケルにもたれかかり、そのまま意識が遠のき登頂を断念しようと思った。そんな時背中に日光が当たり、体が温まり元気が出て登り切れる自信が出た。 |
・ 山頂での周りの景色は覚えていない。ただ、これで帰られると思った。感覚的には山頂に滞在した時間は10分程度と思っていたが、実際は1時間10分も滞在したことが後で分かった。また、登頂前から食欲がなくほとんど食べてなく睡眠もろくに取れないまま登頂した。下山後は体重が10㎏くらい減っていた。登頂に成功したときあまり達成感はなかったが、ベースキャンプまで戻ってきてはじめて達成感を味わった。そして、妻のもとに無事帰ることができると思い嬉しかった。登頂希望者は9名だったが3名が高山病で脱落して6名が登頂した。以前は隊長が登頂者を決めていたが、今回は登りたい人全員を登らせた。山の気象も非常に重要で、日本の有名な山の気象予報士猪熊さんから月40万円で買った。今回の登山に要した経費は準備から含めると400万円くらいかかった。 ・ エベレストとK2の違いは山の急峻さと天候である。エベレストは最後に急峻な場面があるがK2は最初から最後まで急峻であり、天候はエベレストの場合比較的予測しやすいがK2は地形の関係からいつ変わるか予測ができない面がある。 ・ 今回のK2登山で感じたことは、人は大きな夢そして目標を持ちそれに向かってやり遂げることの大切さと、それが出来るのは家族、仲間、上司、先輩、同僚など多くの人の支えがあればこそ出来るものだと思った。 |
素晴らしい講演をありがとうございました。