5月23日・イザベラ・バードの歩いた道(2回目)

イザベラ・バードの歩いた道、2回目、今回は新潟県側より、榎峠、県境の大里(おおり)峠
玉川のつり橋を渡り、菅野峠を経て足野水へのコースを歩いた。

イザベラ肖像 イザベラ・バード(Isabella L. Bird)(1831〜1904)1878年(明治11年)
日本に来て6月から9月にかけ東北・北海道を旅し「日本奥地紀行」
(Unbeaten Tracks in Japan)を著す。
6月10日に東京を発って、日光、会津から新潟に入り1週間ほど過し
山形県には新潟県より小国を通り市野野、手ノ子、小松、赤湯、上ノ山
山形、新庄、を経て金山で2泊して秋田県に入る。アメリカ公使館にいた
ことがあると言う18歳の「伊藤」なる男性を月給12ドルで通訳に雇い
行く先々で馬を調達し、小国の市野野では馬が調達出来ず牝牛で峠を越し
たと書いている。
小松を発って赤湯への道程での田園風景を「米沢平野は南に繁栄する
米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったく
エデンの園である。鋤で耕したというより鉛筆で描いたように美しい。米、綿
とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに
微笑する大地であり、アジアのアルカデア(桃源郷)である(日本奥地紀行・高梨健吉氏・訳)」と書いている。


榎峠入口 『榎峠入口』
一度見過ごして
通り過ぎてしまって
峠への入口を見つけて、
現代の道から明治の道へ

 

畑鉱山の跡地 『畑鉱山の跡地』
往時をしのばせる「畑銅山」
の跡地の前で

 

玉川のつり橋 『玉川のつり橋』
美しい玉川の清流にかかる
つり橋を渡り、菅野峠へ

< 

敷石道の標識 『敷石道の標識』
土に埋もれていた明治期の敷石を
掘り出して復元している。

 

敷石道 『敷石道』
「日本奥地紀行」では、「ここでは馬をほとんど飼っていない。商品の大半は、牛や人夫が運んでくる。男と同様に女も重い荷物を運ぶ。・・・」と、あまり体格のよくない粗末な衣服の人々が汗まみれになって行く姿を記している。

 

菅野峠の頂上 『菅野峠の頂上』
イザベラ・バードの道は
新潟県側よりも山形県側
のほうが、道路や標識が
整備されている。

 

今回は、越後街道の13峠中の3峠を歩いた。
会長のお勧めは、昨年に歩いた「黒澤峠」とか
 
(7:10)山形出発、(9:43)榎峠入口、(10:06)榎峠、(11:25)畑鉱山跡地、(11:35)大里峠入口
(12:21)大里峠、(13:35)大里峠玉川登山口、(13:44)菅野峠登山口、(13:48)玉川のつり橋
(14:18)菅野峠、(15:03)足野水到着、(15:20)帰路へ  
山形着 17:30。ご苦労さまでした。

*** 写真撮影 : 田 崎  信 治 ***

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